2019.01.06

生命について考える。

こんにちは。浜松市南区の自転車屋さんbicycleNOUERCAFEです。

年明け早々につまらないお話です。

年末に店先の薪を整理していた時に、薪の間にいた小さなヤモリさんを気付かず薪で傷つけてしまいました。薪小屋のほうに移してしばらく様子を見ていたのですが、どうもダメみたいで。

なんだか、ものすごく悪いことをしてしまったような何ともつらい気分に包まれました。ここに、公とするとともに懺悔いたします。

(人によって意見の分かれるところではありますが)あんなに可愛らしい顔、姿をしている生き物をあやめてしまうと、とても辛い気分になります。私は、なぜか、どんな生き物であってもあやめたときに、心の片隅にチクっとした痛みを感じます。問答無用で殺虫剤をかける、あの黒いヤツでも、もがいて動かなくなる姿を見て同じような痛みを、やはり感じます。決して虫の好きではない方からすると変かもしれませんね。小さな野花をつむ時や、庭の雑草を抜く時でさえ、何となくゴメンねっていう気分を感じます。

子供のころに歌った『僕らはみんな生きている♩・・・』ていう歌がありますね。今に子達は知らないかな?

ヒトほど、多くの生命に支えられて生きている生き物はいないと思います。1日三食365日そんなに食べられないよ!っていうぐらいの量を、休むことなく食べ続けないと自らの生命を維持できない生き物と言われます。

お正月にTVでごちそうさまのさまってな〜に?ってやってました。見てた方もいらっしゃるかと。私の答えは『おかげさま、の様』。私感ですが、そこにある生命に、届けてくれた人に、作ってくれた人に、今日も食べられたことに、素直に『ありがとう』という気持ちを言葉にするだけでいいのじゃないかという気がします。近年トリビア的なTV番組が多いようで、たまに見かけると、何だか私たちの暮らしの、本質的な部分が等閑にされてるように感じることがあります。言葉の意味を振り返るのは、悪いことではないですが、そこから大切な何かを引き出すところまでの気配りが欲しいところです。

『いただきます』『ごちそうさま』も同じで、感謝の想い。あるいは、さあ皆で美味しくたべましょう!美味しかったね!という席を同じくする人たちへの掛け声。そういう『想い』を何よりも大切にしたいと、私はあらためて感じます。

新しい年の始まり。勢いに流されないで、ちょっと立ち止まって自分の想いに向き合ってみるのも、いいかもしれません。

ところで、みなさん。鯨食文化あるいは捕鯨についてどう思われますか?