2019.01.10

競争が善をもたらすとは限らない

こんにちは。浜松市南区の自転車屋さんbicycleNOUERCAFEです。

NOUERCAFEは、自転車屋さんとして、自転車のあり方をいろいろな角度から問い直したいと考えています。交通手段としてのあり方から、持ち物としてのあり方まで。今自動車を含めて『シェア』という考え方が”広められて”いますが、それの未来を考える上でも、あえて『持つ』意味を考えるべきだと考えます。

私の手元に『じゅうぶん豊かで、貧しい社会』という本があります。

文中に、『よい暮らし』という言葉が出てきます。

よい暮らし。

何でしょう?どこにでもありそうな言葉ですが、世界で起きている全ての事柄の一番根っこにありそうな気がしませんか?

例えば。この言葉の頭に『より』を付けてみましょう。

より、よい暮らし。

どうですか?何だか資本主義経済の向こう側が透けて見える気がしませんか?人間の欲の深さが透けて見えるような気がしませんか?

あるいは、『もっと』よい暮らし。と置き換えたらどうでしょう。著者は文中で『十分』あるいは『足るを知る』ことが消滅した、と現代社会を論じています。

こんな例えが出てきます。

二人の男がある町に向かって歩いている。途中で二人は道に迷ってしまった。それでも二人は歩き続ける。相手に先んじることだけを目的にして。・・・残された選択肢は二つだけだ。先を行くか、遅れをとるか。・・・せめて相手に負けたくない。

実は、昨日のお客さまから、ストックホルムに二週間ほど滞在した時のお話を伺いました。あちらの人々の暮らしを、『不便を楽しんでいる』ようだと表現しておられました。きっとそこには『十分』という価値観がしっかり生きているのだと想います。

ずいぶん昔に、本屋さんで、立ち読みでめくったページに、『あったらいいな』は『なくても大丈夫』と同じ。というセリフがあったのを今でも覚えていて、買い物先で、買ってしまおうかどうか迷った時に(笑)必ず思い出します。

もちろん必ず歯止めが掛かるわけではなくて、相変わらず、自転車や本・服は増え続けてますけどね。

よい暮らし。みなさんにとって、よい暮らしとはどんな暮らしでしょうか?