2018.12.08

光にふるえる

こんにちは。浜松市南区の自転車屋さんbicycleNOUERCAFEです。

NOUERCAFEは高塚町の一角で、この街のランドマークとして人々に愛されるようになりたいと、そう願って1日1日を誠実に生きてゆこうと想っています。

 

昨日より、神戸ルミナリエが始まったとの報が新聞やWebで伝えられています。今年は過去最高数のLEDが使われているのだとか。いわゆる電球に比べると発する熱量が違うので、どのような雰囲気なのか、ちょっぴり気になるところではあります。コストが壁になって、継続が危ぶまれた時期もありましたが無事今日まで人々の想いを伝えてきた、その神戸ルミナリエには、私も幾らかの思い出があります。

 

六甲おろしの寒さを忘れさせるぐらい、暖かな光であったことを、今でもよく覚えています。私も、断層帯から少し離れた場所での被災とはいえ、あの時の衝撃は、この体がはっきりと覚えています。とっさに『死ぬんだ』と覚悟したものです。

 

光に話を戻します。あの光の回廊に身を包まれた時、不思議と涙が込み上げてくるんですよね。少し離れたところから目をやるだけでもやはり胸が締め付けられるような想いに囚われます。何故なのかはわかりません。幸いにして近しい人を失うようなこともなかった私ですが、ただ何かの力が、そうさせるのだと思います。

 

光は、科学的には波ですよね。あれだけの数の光ですから、そこから発するエネルギーの量は、そうとうなものだと思います。その波が、心に響くんだと私は思います。

 

人は、古来より、火を焚いたり灯りを灯したりして、霊を祀るということをしてきました。ルミナリエの光は、希望の光であると共に、鎮魂の光でもあります。その数多の想いが、あの回廊に包まれたときに伝わってくるのだろうと、私は考えています。

 

それは、きっと、東日本大震災の時に人々が見上げた、数多輝く星の光にも同じことが言えるのではないかな、と想ったりもします。

 

信仰、というほどのものではありませんが、自然の力とともにある私たち生命の何がしかに想いをはせ、願い事をしてみたり、心の安寧を求めてみたり。その、手を合わせるといった行為には、生き物としての人の素直な姿があるように想います。

 

ストーブの火を眺めつつ、そんなことも考えてみた、今日のNOUERCAFEでした。